備忘録あるいはボトルメール

暇なときに書きます。暇なときに読んでね。

忘れられて、忘れたい記憶

嫌な思い出というのは誰にでもあるものだ。私は記憶力がいいほうではないが、急に過去の嫌な記憶を思い出しては、やりきれない気持ちになる。

何をいつ思い出すか制御できれば、あるいは完全に忘れることができれば、ふとした瞬間に脳に無駄な圧力をかけなくて済むのに……YouTubeを見ているときに急に出てくる虫の動画のサムネくらい厄介だ。

忘れることについて考えていたら、また嫌な思い出がよみがえってきた。せっかくなのでここに書いておく。

 

小学校の時、私は問題児だったと思う。みんなと反対のことをやって注目を浴びる。自分は特別だと思い込み、その逆張り精神は今になってもこびりついて離れない。

そんな中でも、小学校の音楽の授業だけは好きだった。教科書だけでは学べないから。それと、体育ほど疲れないからだ。それに、当時の自分は調子に乗っていたため、自分は歌が上手だと思っていた。

音楽の先生は「気合だ!」って感じの白髪交じりのおじさん。とにかく声を出せという教えは、かなり私の肌に合っていた。ふざけたりしながらも、音楽の授業だけは前向きに取り組んでいたと思う。

中学生になり、秋。小学校で地区運動会があった。あまり行く気はなかったが、競技に出るわけでもなし、中学が別になったやつにでも会いに行こうかと足を運んだ。小学校卒業から一年も経っていないが、とても懐かしい気分だった。
数人の友人の姿を見つけ、挨拶をしたりぶらぶらしたりしていると、小学生時代の音楽の先生を見つけた。一年も経っていないが懐かしさを感じていた私は、友人とともに先生に話しかけた。会話の内容は特別面白いものではない。中学校はどうだとか、運動会は面倒だとかそういうくだらない話をしていた。その会話の中に、どこか違和感があった。

それに気づいたのは話を始めてしばらく経ってからだった。先生は、友人の名前は本名で呼ぶのに対し、私に対してはどこか他人行儀に「あんた」と呼んだ。

ああ、そうか。人と違うことをしていろんな人の気を引いていたつもりの自分だったが、きっと先生の記憶の中には残っていなかったのだ。

仕方のないことだ。先生という仕事は一年に何十人もの生徒を相手にする。問題児も、一クラスに一人くらいはいるものだろう。その中の一人をわざわざ覚えているほど波のない仕事ではない。

しかし、こちらは覚えているのに、一方的に忘れられたというのは、当時の自分にとってとてもショックな出来事だった。いっそ自分も同じように忘れてしまえたなら……

でも、そのとき忘れられていたことを、今になっても忘れられないでいる。

 

以上。書いたことでまた忘れられなくなりそうだけれど、自分の中に抱えておくより少しは楽になったと思う。

きっとまたいつか、同じことや他のことを思い出しては、やりきれない気持ちになるのだろう。その時は、また書こうと思う。ブログのネタになると思えば、少しは肯定的になれるだろうか。