備忘録あるいはボトルメール

暇なときに書きます。暇なときに読んでね。

書いておく。

これはテーマや伝えたいことがあって書く記事ではない。頭の整理だ。

 

新年。新しい気持ちで人生を送りたいが、私にはやるべきことがあるように思える。

我々は人生の残り時間を何に費やすか考えながら生きている。

なにを優先したいか。年末年始で感じた家族関係のことでも書こうと思う。

 

私はとても恵まれた家庭で育ったと思う。特別裕福だということもなかったが、欲しいと思ったものを買ってもらえなかったことはなかった。そもそも買ってほしいとねだったことがほとんどないのだが。

だから、私は家族に感謝している。父親、母親、祖父母、叔父。私はそれらを尊敬しているし、幸せでいてほしいと思っている。

 

数か月前に祖父にガンが見つかった。本当はもっと前から見つかっていたのかもしれないが、祖父は心配させたくないと私になかなか伝えなかった。私は日常を愛していて、変化を嫌う。故に、死というものが身近に感ぜられ、不安に襲われた。もしかすると、祖父の判断は間違っていなかったのかもしれない。

祖父母は、よく旅行に行った。道の駅を回りスタンプラリーを完成させるといったことをここ数年繰り返している。次は九州を回るつもりらしい。祖父母は私に、その旅のドライバーをして欲しいと言った。これは重労働だろう。九州は大きい。

面倒だ。いつもなら断っていたが、死という焦りが私を悩ませた。結局、今は保留中だ。いつまで保留を続けられるだろうか。

 

叔父には子供がいない。結婚した人はいるが、お互い話し合って子供は作らないつもりらしい。叔父と結婚した人、私にとって叔母にあたるひとは、海外で仕事をしている。

詳しいことは聞いたことがないのでよくわからないが、たまに日本に帰ってくる。

東京にいる叔父は、頑固な父と比べて理知的で、柔軟性があった。若い考えをずっと頭の中に持っていて、大人の余裕もある。目標にしたい人間だと思っている。そんな彼は、私に「東京に来ないか」と言った。父曰く、叔父の家には子供がいないから、子供がいたらどうだっただろうという空想がしたいのだろう、と。

自分たちで子供を作らないという判断をしたにもかかわらず、空想のために私の人生を消費しようなどという考えは、私にとって心地の悪いものに感ぜられたが、とはいえ私には特別やりたいことがあるわけでもない。私には恋人がいない。いつか将来、私も同じように子供を作っておけばよかったと後悔するかもしれない。ここまで考えて、少しは協力してもいいのかもしれないと思った。

しかしこれも結局、今は保留中だ。私もいつまでも若くはいられない。決断の期限はきっと思っているより近い。

 

母方の祖父は大家族の息子で、昔は山奥の一軒家に住んでいた。古い家だが、最近少しずつ補強をし、冬は寒すぎるが、夏場なら生活できるくらいにはなった。この家を管理しているのは、私の大叔父にあたる人なのだが、高齢であるため、管理を引き継ぐ人を探しているそうだ。その話は私のもとにも来た。はっきり断ってしまえばいいのだろうが、山奥の一軒家には思い出がある。私の思い出もそうだが、大家族の思い出がその家には詰まっているような気がして、どうにも無下にする気にはなれない。これも、今は保留中だ。

 

家族との縁、期待。それは息苦しい。それらは強制されない。だからこそ、裏切りには強い罪悪感が生まれる。

 

私は、どれも取りこぼしたくないと思っている。捨てることが苦手だ。昔、妹がぬいぐるみを捨てようとしたとき、私はそれを引き取って、今も自分の部屋にある。

この捨てられずに保留になったままの家族からの期待を、保留のまま永遠に過ごせたらいいのに。しかし時間は止まってくれない。

いつか全部が手遅れになって、手遅れになったらそれはそれでいいと思っている。我々に人生は一つしかない。選択しているつもりの道も、きっと決まっていることなのだろう。

 

こういうことを考えていると、我々はいつか死ぬのだと思い出す。

メメント・モリ

死を想いながら生きると、焦燥感に襲われる。

今年がいい年になりますように。