備忘録あるいはボトルメール

暇なときに書きます。暇なときに読んでね。

ミステリーレコード初日感想

今日2023年3月30日は「ミステリーレコード(ミリコド)」のサービス開始日だ。

私は謎解きが好きというわけではないが、50戦くらいやってきたので感想を書こうと思う。

誰に向けたものでもないが、割とすぐ頭の中から消えそうな記憶なのでここに書いておく。

 

まず、前情報よりも謎解きしてる感は薄かった。謎が解けなくてもバトルでなんとかなるし、答えを理解していなくても味方が解いてくれるので謎解きが必須ではない。戦闘でのごり押しが可能なのはサービス開始から日が経っていない今だからなのかもしれないが、謎解きを期待していた自分にとっては少し残念だった。

ここからはステージに出てくるそれぞれの謎解きについて書いていこうと思う。

 

・選択問題
4択のクイズ。そこまで難しいものはない。ヒントも出るし、閃いた味方についていくだけでもいい。普通の一枚謎って感じ。

・数字
4桁の数字が答えのクイズ。これが一番謎解き感あって好きだけど、答えが分からないのなら数字を触らないでほしい。ギリギリの時間で閃いて数字を並べているときに横から数字を変えられるとキレそうになる。というかキレた。

・間違い探し
そこまで面白くない作業なので他の人に任せて戦闘をしていた。

・罠
箱を開けるとたまに罠が発動する。3、4択の問題が出るが、誤答後のインターバルがないので全押しでクリアされる。僕はそれを黙ってみてるだけ。

・4色問題
面白くない。作業。地味に敵の攻撃が痛い。

もじぴったん
時間がギリギリになりがち。箱を出すのに2人以上必要なので、ジャンプして目標の文字を触りながら人を呼ぶとスムーズ。5文字のものは予想がつきやすいのでそこから考えるといい。

・絵合わせ
余ったピースを隙間にぶち込むのは面倒なので、完成形が分かっているなら真ん中からそろえるといい。作業。

・箱を壊すやつ
箱を壊して像やら文字やらを出すやつ。答えが分かっても箱を壊さなくちゃならないので作業感は強い。

・ボス戦
毎回やることはほぼ同じ。箱壊すか橋作るか。

 

全体的に、割と何度か見た問題があった。問題数がそんなに多くないのだろう。あと同じ人とマッチングすることも多かった。まあこの辺は仕方がないことだけど。
それと、謎解きの難易度はかなり低い。ただ、1つだけ難易度おかしいだろって謎があった。謎解きマニアは知らないけど、普通の人間はアルファベット順そんなにすぐ計算できないでしょ。俺だけか?
ヒントもあるので味方が最速で解いてしまった場合を除き、解けないということはないはず。

戦闘については、特別つまらなくもないが特別面白くもない。アクション要素はほぼない。

謎が解けなくても戦闘で勝てば問題ないので、失敗することはない。50回のうち2回ほど失敗したが、そのうち1回は通信エラーで、もう1回は進行不能バグによるものだった。
バグが出るのは仕方ない。初日だし。
ハラハラすることもなかったので、やればやるほど作業感増してモチベーションが下がっていった。

あと細かいことだが、アイテム上限がそんなにないのかすぐに超えてしまった。自分が知らないだけかもしれないが一括処分はできなかったと思う。少し面倒。

 

思うにこのゲームはマルチプレイであることのメリットが薄い。おそらくマルチプレイのメリットとして考えているであろう「謎が解けなくても戦闘で役に立つ」というのは、そこまで間違っていないと思うが、そもそもこのゲームを始めた人は謎解きをしたいはずなので、仲間が勝手に解いていくのを眺めるのは面白くないと思う。
謎解きの早さを競い合うほうがまだ面白かったんじゃないか?

また、ずっとこのゲームをやっていると知っている問題ばかりになってしまうので、最終的には答えを知っているかどうかのゲームになってしまう。これも残念に感じた。

 

そもそも、戦闘はなんであるんだろう。謎が解けなくても役に立った感が出るからだろうか。それともパズルを揃える邪魔をする障害でしかないのか。

少なくともこのゲームをやっていてバトルが面白いと感じたことはなかった。メインストーリー進めるのに割と時間がかかるのもどうかと思う。

面白かったのは一人で数字を揃えていたときだけ。

 

散々マルチプレイがつまらないだの戦闘がつまらないだのと言ってきたが、身内で遊ぶ分にはけっこう面白いと思う。意思疎通ができるだけで謎解き部分の不満点も解消される。その場合、初心者同士で遊ぶのが一番いいだろう。そうしなければ経験者が、知っている答えを教えるだけの人か、答えを知っているのに言えない人になりそうだ。

最後に、ミリコドって略称は分かりにくいよやっぱり。

出席番号が高めの奴は、日付と関連して指名されることがないからズルい。

「教科書のここを音読してもらう。今日は1月28日だから、出席番号28」

私の経験上、学校ではみんな間違えたり目立つのを恐れ、挙手をすることがなかった。だから、先生はランダムに生徒を選び、教科書を読ませたり、答えを書かせたり、言わせたりする。先生が生徒を選ぶとき、生徒はみんな自分に役が回ってこないよう息をひそめる。指名された生徒が生贄にされ、他の者は安堵する。

そんな中で育ったからか、私は人前に立つのが嫌いだ。夏休みの自由研究を発表するときだって、合唱コンクールで歌声を響かせるのだって、顔を赤くし震えながらやったものだ。

大人になって自由を得ると案外壇上に立たされることは少ない。最低限の作業をしていれば目立つこともない。とても居心地がいいのだけれど、反面自己表現の機会は減ったと思う。

こうやって文章を打ち込んでいることからも分かることだが、私は自己表現が嫌いなわけではない。ただ、失敗するのを恐れたり、自分の中に発表するほどの価値がないと考えていたりするうちに眠くなって忘れていく。そうやって眠気にもたれながら怠惰に憶病に生きている。

最近になって気づいたが、私には世界にとって特別な存在になりたいという欲があるらしい。であれば、少しでもその努力をすべきだ。多くの人間の記憶に残り、私という存在を知らしめたい。しかし、他人の印象に残るのは難しいだろう。
いつだったかテレビで芸人が「名前だけでも覚えて帰ってください」と言っていた。とても分かりやすいお願い。しかし私の記憶にあるのはその挨拶だけで、ネタの内容も顔も名前も何も覚えていない。私が人の名前を覚えられないというのもあるが、やはりただ覚えてくれというだけでは人の記憶に残りにくいだろう。テレビに出られるくらいの芸人でそれなのだから、私には難しいだろう。

もしかすると、私は先生に当てられたいのかもしれない。こうやってただ自分の場所に座っているだけで、注目される機会が回ってきて、赤面しながら当たり前のつまらないことを言って、それだけでなにかやり遂げたような……

受け身で生きているのに、いつか突然すべてが上手くいって自分がこの世界にとって特別な存在になれるんじゃないかと思ってしまうのは、もしかすると学校での経験のせいなのかもしれない。

少しは能動的に自己表現をしないとなと思うので、最後に挨拶を。

これは本来最初に言うべき文言だが、

「名前だけでも覚えて帰ってください」

書いておく。

これはテーマや伝えたいことがあって書く記事ではない。頭の整理だ。

 

新年。新しい気持ちで人生を送りたいが、私にはやるべきことがあるように思える。

我々は人生の残り時間を何に費やすか考えながら生きている。

なにを優先したいか。年末年始で感じた家族関係のことでも書こうと思う。

 

私はとても恵まれた家庭で育ったと思う。特別裕福だということもなかったが、欲しいと思ったものを買ってもらえなかったことはなかった。そもそも買ってほしいとねだったことがほとんどないのだが。

だから、私は家族に感謝している。父親、母親、祖父母、叔父。私はそれらを尊敬しているし、幸せでいてほしいと思っている。

 

数か月前に祖父にガンが見つかった。本当はもっと前から見つかっていたのかもしれないが、祖父は心配させたくないと私になかなか伝えなかった。私は日常を愛していて、変化を嫌う。故に、死というものが身近に感ぜられ、不安に襲われた。もしかすると、祖父の判断は間違っていなかったのかもしれない。

祖父母は、よく旅行に行った。道の駅を回りスタンプラリーを完成させるといったことをここ数年繰り返している。次は九州を回るつもりらしい。祖父母は私に、その旅のドライバーをして欲しいと言った。これは重労働だろう。九州は大きい。

面倒だ。いつもなら断っていたが、死という焦りが私を悩ませた。結局、今は保留中だ。いつまで保留を続けられるだろうか。

 

叔父には子供がいない。結婚した人はいるが、お互い話し合って子供は作らないつもりらしい。叔父と結婚した人、私にとって叔母にあたるひとは、海外で仕事をしている。

詳しいことは聞いたことがないのでよくわからないが、たまに日本に帰ってくる。

東京にいる叔父は、頑固な父と比べて理知的で、柔軟性があった。若い考えをずっと頭の中に持っていて、大人の余裕もある。目標にしたい人間だと思っている。そんな彼は、私に「東京に来ないか」と言った。父曰く、叔父の家には子供がいないから、子供がいたらどうだっただろうという空想がしたいのだろう、と。

自分たちで子供を作らないという判断をしたにもかかわらず、空想のために私の人生を消費しようなどという考えは、私にとって心地の悪いものに感ぜられたが、とはいえ私には特別やりたいことがあるわけでもない。私には恋人がいない。いつか将来、私も同じように子供を作っておけばよかったと後悔するかもしれない。ここまで考えて、少しは協力してもいいのかもしれないと思った。

しかしこれも結局、今は保留中だ。私もいつまでも若くはいられない。決断の期限はきっと思っているより近い。

 

母方の祖父は大家族の息子で、昔は山奥の一軒家に住んでいた。古い家だが、最近少しずつ補強をし、冬は寒すぎるが、夏場なら生活できるくらいにはなった。この家を管理しているのは、私の大叔父にあたる人なのだが、高齢であるため、管理を引き継ぐ人を探しているそうだ。その話は私のもとにも来た。はっきり断ってしまえばいいのだろうが、山奥の一軒家には思い出がある。私の思い出もそうだが、大家族の思い出がその家には詰まっているような気がして、どうにも無下にする気にはなれない。これも、今は保留中だ。

 

家族との縁、期待。それは息苦しい。それらは強制されない。だからこそ、裏切りには強い罪悪感が生まれる。

 

私は、どれも取りこぼしたくないと思っている。捨てることが苦手だ。昔、妹がぬいぐるみを捨てようとしたとき、私はそれを引き取って、今も自分の部屋にある。

この捨てられずに保留になったままの家族からの期待を、保留のまま永遠に過ごせたらいいのに。しかし時間は止まってくれない。

いつか全部が手遅れになって、手遅れになったらそれはそれでいいと思っている。我々に人生は一つしかない。選択しているつもりの道も、きっと決まっていることなのだろう。

 

こういうことを考えていると、我々はいつか死ぬのだと思い出す。

メメント・モリ

死を想いながら生きると、焦燥感に襲われる。

今年がいい年になりますように。

忘れられて、忘れたい記憶

嫌な思い出というのは誰にでもあるものだ。私は記憶力がいいほうではないが、急に過去の嫌な記憶を思い出しては、やりきれない気持ちになる。

何をいつ思い出すか制御できれば、あるいは完全に忘れることができれば、ふとした瞬間に脳に無駄な圧力をかけなくて済むのに……YouTubeを見ているときに急に出てくる虫の動画のサムネくらい厄介だ。

忘れることについて考えていたら、また嫌な思い出がよみがえってきた。せっかくなのでここに書いておく。

 

小学校の時、私は問題児だったと思う。みんなと反対のことをやって注目を浴びる。自分は特別だと思い込み、その逆張り精神は今になってもこびりついて離れない。

そんな中でも、小学校の音楽の授業だけは好きだった。教科書だけでは学べないから。それと、体育ほど疲れないからだ。それに、当時の自分は調子に乗っていたため、自分は歌が上手だと思っていた。

音楽の先生は「気合だ!」って感じの白髪交じりのおじさん。とにかく声を出せという教えは、かなり私の肌に合っていた。ふざけたりしながらも、音楽の授業だけは前向きに取り組んでいたと思う。

中学生になり、秋。小学校で地区運動会があった。あまり行く気はなかったが、競技に出るわけでもなし、中学が別になったやつにでも会いに行こうかと足を運んだ。小学校卒業から一年も経っていないが、とても懐かしい気分だった。
数人の友人の姿を見つけ、挨拶をしたりぶらぶらしたりしていると、小学生時代の音楽の先生を見つけた。一年も経っていないが懐かしさを感じていた私は、友人とともに先生に話しかけた。会話の内容は特別面白いものではない。中学校はどうだとか、運動会は面倒だとかそういうくだらない話をしていた。その会話の中に、どこか違和感があった。

それに気づいたのは話を始めてしばらく経ってからだった。先生は、友人の名前は本名で呼ぶのに対し、私に対してはどこか他人行儀に「あんた」と呼んだ。

ああ、そうか。人と違うことをしていろんな人の気を引いていたつもりの自分だったが、きっと先生の記憶の中には残っていなかったのだ。

仕方のないことだ。先生という仕事は一年に何十人もの生徒を相手にする。問題児も、一クラスに一人くらいはいるものだろう。その中の一人をわざわざ覚えているほど波のない仕事ではない。

しかし、こちらは覚えているのに、一方的に忘れられたというのは、当時の自分にとってとてもショックな出来事だった。いっそ自分も同じように忘れてしまえたなら……

でも、そのとき忘れられていたことを、今になっても忘れられないでいる。

 

以上。書いたことでまた忘れられなくなりそうだけれど、自分の中に抱えておくより少しは楽になったと思う。

きっとまたいつか、同じことや他のことを思い出しては、やりきれない気持ちになるのだろう。その時は、また書こうと思う。ブログのネタになると思えば、少しは肯定的になれるだろうか。

シャニマス:線たちの12月読んだよ

Twitterに書くと検索に引っかかってネタバレになりかねないので、こっちに書こうと思う。

例によってネタバレ注意だし、本編読んでる人でないと何を言ってるかわからないと思います。

考察とかはやりません。感想だけ。

前と同じで、自分の脳の整理と記憶力の悪い自分が後から見返すために書くので、読む人への配慮とかはないです。この記事は俺のものだ!

 

 

とりあえず第一印象だけ書くなら、ルカと灯織の関係がよくなるたびに次の話が見たくなくなるイベントだった。だってほら、展開が読めるというか、必然的にそうなるだろうという予想があるから、最終話に近づけば近づくほど、次を見たくなくなった。見たけど。

 

実はコミュのリアクションを録画していて、この記事はそれを見返しながら書いた。最初ルカが出たときから自分がはしゃぎすぎててめちゃくちゃキモかった上に、後半緊張してめっちゃ小声だったので、見るに堪えなかった。そんなことはどうでもよくて……

 

どこから書こうかな。まずは話の筋を書くか。

大きな流れとして、

ルカと灯織

凛世と小糸

おばばとクリスマスカード

の3つが本筋だと思う。それぞれに共通するのが、「見えていないことがある」ということ。

 

斑鳩ルカが283プロに対して抱いている敵意のようなものは、原因が判明していない(予想がつかないこともないが)。プロデューサーからも、灯織からも、ルカの心情は推察しようがない。きっとまだ、ルカに対して「見えていない」ことがあるからだ。

また、ルカから灯織に対しても、コンタクトレンズをつけて灯織を見るまでは灯織そのものを見えていなかった。

 

小糸の凛世に対する委縮が思ったよりひどかった。凛世は小糸に嫌われているのではないかと思い、咲耶や透に相談し、「まだ見えていないことがある」と飴をプレゼントする。

 

おばばとクリスマスカードに対しても、その背景にあることはきっと「見えていない」けれど、透はそうしてほしいのかと思って孫のふりをした。

 

もしこの透の行動や消防団の人が言っていたことがシャニマスの提示する回答なのだとすれば、「騒音だとしても、間違っていたとしても声をかけ続けること」がルカとの関係の解決に向かう方法なのだろうか。

 

うーん……共通点を抜き出そうとしてみたけど、慣れないことはしないほうがいいな。なんか間違っている気がする。

 

それにしても、見えていないものを見たいかそれとも見えないままのほうがいいのかというのはくもりガラスの銀曜日に通ずるものがある。灯織が選ばれたのはそれもあるのかな?

 

ここからはアイドルについて一人ずつ書いていこうと思う。今回のイベントは全員の個性が輝いていたように見える。その点において素晴らしいイベントだったと思う。

 

咲耶は徹底して頼れるお姉さん的立ち位置にいたと思う。アンティーカの中にいるときは、メンバーに対する信頼や甘えがあったが、今回は年長者らしく凛世と透に対して優しく接していた。また、咲耶の幼少期であろう描写、これも多くは語られないが、咲耶の父親のことを考えると、きっとクリスマスの懐かしい思い出が咲耶の中にもあって、クリスマスはみんな幸せであってほしいと祈るのだと思う。

 

灯織は……少し前から思っていたのだけれど、美琴さんと似ているところがある。灯織のストイックな精神は、方向性は違えどもSHHisやストレイに通ずるものがあると思う。美琴と違うところとして、サッカーのリフティングを練習したりとか、レッスンとは違う方向で努力することもあるけど、きっと灯織は「技術が高いのがいいアイドル」だとは思っていないからだ。確かこの辺はGRADで言及されていたか。

まあとにかく、ルカは間違いなく灯織の中に美琴を見ていたと思う。灯織から見たルカは……どうなんだろう? すごい人だとは言っていたが、拒絶されてもなお友情のようなものを感じていてくれているのだろうか。

 

凛世は、ずっと小糸のことを考えていたように思う。こういう思慮というか、気配りができるのはすごく魅力的だと思う。ロー・ポジションとかでも思ったけど、凛世は割と素直に話を聞くからぐいぐい来る人とは素でやっていけるんだなあ。

 

透は、今回はトラブルメーカーになることもなく、考えを導く役になっていたと思う。凛世に対してのアドバイスとか、おばばに対しての対応とか、テーマに対しての答えを示す人になっていたと思う。頼もしい。

 

小糸は…… 今回は怖がっていた印象しかないかも…… ここが小糸の今後の課題になるのだろうか。ここからは妄想なのだけど、中学生時代の小糸、クラスメイトに話しかけられてもろくに返事もできなさそう。ノクチルとして有名になったら、そのクラスメイト達はどう思うのだろう? 同族だと思っていた教室の端にいるタイプのクラスメイトが幼馴染とアイドルやってる小糸見て「そんな顔できるんだ」ってなるコミュください。

 

こうしてみると、凛世と小糸は問題提起を、透と咲耶は年上として答えを示す役割になっていたと思う。

 

凛世の相談に乗っているときの咲耶のセリフ、

「誰がどんなことで困ったり、何かを疎んじたりするのか」

「それもまた、他の誰かからは思いもよらない形を持つものなのかもしれない」

このときに咲耶が提案した解決法は2つ。謝るか、時間をおくか。

つまり、天井努がルカに謝ってだな……というのは冗談だけど、

やっぱり、消防団の人が言っていた、「聞いている人からしたら騒音かもしれないし、逆に安心してくれる声になるかもしれない。そうであったらと祈って声をかけ続ける」というのがシャニマスの出したルカに対しての答えなんじゃないかな。



最後に、ルカ。

灯織と美琴を重ねて見ていたであろうルカ。

ルカはどうやったら救われるのだろうか。きっと温かい言葉も今は騒音に聞こえてしまう。心の中ではそれを求めていても、友達ゴッコ、家族ゴッコと思われてしまうだろう。

間違いなく、ルカは孤独なのだと思う。5人いれば暖かくなるというが、ルカは寒がっていたし。

まあしかし、このルカと283プロの溝をはっきり描いてくれたってことは、解決してくれるってことだと思うから、今後を期待したい。咲耶が言っていたとおり、少し時間が必要なのかもしれない。待つしかないのか……

今回、ルカが灯織を灯織として見ていたとは思えないが、二人の関係がここで終わるというのはあまりにも悲しいので、なんとかなってほしいぜ。

シャニマス:シーズGRAD読んだよ

Twitterに書こうと思ったが文字数多くなったのでこっちに書こうと思う。敗北ルートまで読んでないよ。

ネタバレ注意!!!だしシャニマスやってないと何の話か分からん
その上そもそもこのブログを読んでる人なんていないので、まあ未来の自分に向けた記事だ。ごめんな、この記事俺のなんだ。

読む人に対しての配慮とかないです。ごめんなさい。

 

あ、あと考察とかやりません。ただの感想。

 

さて、ではそれぞれのコミュに言及すると……

 

美琴に関しては、283プロというかステージとレッスン場を「生きる場所」「帰ってくる場所」として思ってくれているのはとても嬉しかった。反面、少し悲しくもある。個人的に実家というものは安らげる場所であってほしかったし、読む前はそういう話を読めるのかもしれないと期待していたから。こういうこと言うと毒親を持っている人からの意見が飛んできそうだし、それを否定したいわけでもないから強くは言わないけど、美琴はもう実家には帰らないのかなと思うとどうしても悲しいなと思ってしまう。
あと、これまで美琴は最高のステージを目指してきたのだけれど、個人的に今まではこれがしっくりこなかった。美琴が過去に立ったステージにもきっと素晴らしいものが沢山あったはずで、でもきっとそれは最高のステージではなかった。最高のステージに立って満足して……なんて日がいつか来るのか、そう思っていたのだけれど……
今回のGRADでステージに立つことや練習をすること自体が生きることなのだと分かった。最高のステージというのはきっと終わりであり死だ。美琴は生きることを選んだ。これはどういうことだろう?
もしかしたら最高のステージなんてものは実在せず、きっとひたすら上を目指し続ける生きている時間だけが存在するのかもしれない。それが今の美琴なのだと思う。

あと、最後のコミュが日常っぽかったのも283プロ=家ということを強調しているように思えて良ですね。

 

にちかは……いや、ちょっと泣いちゃいました。プロデューサー!!! 好きだ!!! プロデューサーよりも、にちかの精神のほうが過去の俺に近いので、俺も読みながらめっちゃ共感して、反面どうすりゃ分かってくれるんだろうと思っていたのだけど、プロデューサーお前……靴プレゼントして……さぁ……やっちゃだめだよほんとあんなことさあ!

にちか!

靴を脱いでくれ!

にちか!

靴を履いてくれ!

 

WINGが負けちゃいけない戦いだったのに対して、GRADは最後「負けていい」ステージだったのよかった……
あとなみ……じゃなかったルカの母が今の生活に対して幸せだって感じてくれていたほんとよかった安心した(?)。

 

でもさあ……おいあの終わり方はなんなんだよ!
ルカを出せよ!
なんかオバケみたいな感じでにちかの脳内をかき乱してただけじゃねえかよ!
正直ちょっと笑っちゃったよアレ!
ルカを出せよ!!!
ルカ!
ルカ!?!?!?
ルカを出してくれ!

……俺は美琴とにちかが救われてもルカが救われなきゃ嫌なんだ……
出してくれよ! 俺は帰らなくちゃいけないんだ俺の世界に!(ハロウィンコミュ)
出してくれぇ……出してぇ!!!
なぁ……なんでこうなるんだよ
俺は……俺は……幸せになりたかっただけなのに……

他人の舌で焼肉が食べたい。

2022年現在、私は20代前半の男性なのだが、大人になって時間が経たないうちに老化現象というものを実感している。

成長の山を登り切り、これから老化していくだけの身体。

 

どうしてそんなことを言うのか。

明確に、味覚がなくなっていっているからだ。

 

私は目が悪いほうではない。ずっとモニターの前で生活してきたが、眼鏡をしたことがないくらいには目がいい。だから、見えているものが見えなくなる感覚が分からなかった。

今、私は視力が悪くなるのに似た感覚を舌で感じている。あるいは感じているのは脳かもしれないが。

とにかく、昔の私はもっと食べ物の味をくっきりはっきり認識できていた。そのときの感覚を今から得ることはできない。ただ、記憶の中に少しだけ残っていて、思い出すたびそれと同じ感覚をもう得られないのかもしれないとがっかりする。

このまま老化が進めば、どんどん味が分からなくなり、どんどん目が見えなくなり、どんどん耳も聞こえなくなり、どんどんと壁にぶつかっても痛くなくなるのだろうか。
感度3000倍が羨ましく思える……

 

「自分の見ている色が他の人と同じとは限らない」という話を知っているだろうか。

簡単な話、みんな違う眼と脳を持っているから、同じものを見ても同じように感じないのではないかという話なのだけれど、結局それを確かめるには他人の眼と脳を自分の脳にくっつけなきゃならない。別に難しい話がしたいわけじゃない。

他人の目で物を見たいという気持ちは割と一般的なものだと思う。

同じように、今の私は他人の舌で物を食べたい。

何が食べたいだろう?

辛いものと苦いものは嫌だな。酸っぱいものもそんなに好きではない。

 

ああ、焼肉が食べたい。肉の味が好きなのではない。概念としての焼肉が食べたい。

焼肉にはなんとなく豪勢なイメージがある。

牛タン……牛の死体の舌を薄く切って焼いて自らの舌と絡める……ケモナーネクロフィリアのディープキスみたいな料理だが、味は割とさっぱりして悪くない。

ああ、焼肉が食べたい。

子供の時の舌で食べたい!

牛の死体の舌を薄く切って焼いて感度の高い子供の舌と絡めたい!!!!

 

小児性愛でケモナーネクロフィリアのディープキスみたいな文章になってしまったが、今の私の素直な欲望だ。

私は小児性愛者でもケモナーでもネクロフィリアでもない。

 

ただ、他人の舌で焼肉が食べたいんだ。