備忘録あるいはボトルメール

暇なときに書きます。暇なときに読んでね。

よく噛んで食べよう。

以下は自分語りである。きっとあなたの糧になる話ではないため、時間を潰したい場合を除いて、読むことをおすすめしない。

 

私は数年前、ワールドトリガーを全巻(当時の最新刊まで)読んだ。

友人のY君がワールドトリガーの熱狂的なファンで、

「全巻貸してやるから読め」

と全巻セットを袋に入れて渡してくれたからだ。

当時の自分は、趣味もなく暇をしていた。時間はあったので、2日ほどに分けてちゃっちゃと読んでしまった。

今思い返すと、これは大きな過ちであった。今回はそういう話を書こうと思う。

 

時間はめちゃくちゃ遡り、私が小学校低学年の頃。私は給食を食べるのが遅かった。

噛む速度が遅かったり、食べきれなかったりというわけではない。単純に給食をゆっくり味わって食べていた。

食べ物は大抵、噛めば噛むほど味が変わる。甘くなったり、細かくなったりする。奥歯の有効活用である。

「よく噛んで食べましょう」というのは、顎の力を鍛えたり、喉を詰まらせないようにしたりするための標語だったと記憶している。だが、幼い私にそれは食べ物を最大限味わうための標語に思えた。

 

時間は飛んで、次は中学生。

大人になった今、中学生はまだまだ子供だという印象がある。しかし、卒業後働くこともできることを考えると、将来を考えなければいけない年だとも言える。

私にも、将来を考える機会があった。進路希望調査である。これは小学生のときにもあったが、そのときはテキトーに「宇宙飛行士」だの「サッカー選手」だのと能天気な回答を書いておけばよかった。しかし、中学生の進路希望は私にとってもっと現実的なものに見えた。

Q.将来は何になりたいか。

私は困った。今、自分はなんにでもなれると思った。

頭が悪くはないし、今から医者になろうと本気を出せば、きっとなれるだろう。

スポーツ選手になることもできるだろう。日本代表なんかを望まなければ、本気でそれをやって、最終的に地方のスポーツクラブにでも雇ってもらえたらそれもいい。

宇宙飛行士は難しいかもしれないが、それに人生をかけることを選択することはできるだろう。

その他にも、役者、ペットショップ、理髪店、プログラマー、公務員……きっとなれるだろう。

この時の自分は自意識過剰で自信家であったため、本気でそう考えていた。

しかし同時に、こうも思った。

「もし何か一つ道を選んだら、きっと他のものにはなれない」

そう考えると、道を選ぶのが嫌になった。たくさんの道はどれも魅力的で、どの可能性も手放したくなかった。

結局、何も選ばないまま時間だけが過ぎていき、時間だけが過ぎていく中、いくつもの可能性が自分からなくなっていくのをただただ受け入れて生きていった。

 

時間が過ぎると言っても、ただ退屈を味わっていたわけではなかった。

中学でノートパソコンを与えられた私は、インターネットの海に飛び込んだ。

目の前にあふれる娯楽。アニメ、漫画、小説、映画……それぞれに詳しい人が名作をあげつらう。私はそれをちらと覗いては、目についたものから消費していった。

娯楽はいい。なぜなら、一つの娯楽を選んでも、すぐに消費して他のものに手を出せる。大量に消費した後に見た作品の名前を振り返ると、どこか達成感もあった。

その達成感を得るために、とにかく量を見る。あの作品を見た。読んだ。味わった気になって、次の日には忘れてを繰り返す。

そうやって退屈を誤魔化し、それからずっと、今も、ただただ娯楽を消費している。

 

今から1年ほど前、ワールドトリガーのアニメ3期が始まり、Y君は興奮していた。

高校時代の友人が集うグループ通話では、当然のようにワールドトリガーの話題が持ち上がった。

しかし、私は本編のほとんどを忘却していた。

 

このとき、私は気づいた。私は自分が退屈しないために娯楽を消費している。

自分自身の糧にするためではない。ただ退屈を避ける時間潰しのための行為だった。

味は気にせず、ただ飲み込むだけ。きっと不感症のようになっていた。

それはなんだか、虚しく思えた。

 

今までずっと味わわずに丸のみにしてきた作品たち。

あれらをもっとちゃんと奥歯で噛んでいたら、自分はもっと感受性豊かな人間になれたのだろうか。

だとしたら、きっとあるはずの味をこれからは逃さないように。

 

よく嚙んで食べよう。

よく嚙んで食べよう。